グッドルーザーの精神

昨日11月26日、日本経済新聞朝刊のスポーツ面、「フットボールの熱源」というコラムを読んだ。
記者の吉田誠一が書いたものだが、”グッドルーザーの精神”というタイトルだった。
内容は、Jリーグクラブのある幹部と話しをしたときのことで、
「いまの日本の選手はグットルーザーの精神を忘れてしまっているのではないか」という問題提起でスタートしている。
読んでいくと、そうかなあと思う程度であった。どこのチームのだれを指しているのか、浦和の選手かな?
なんて穿って読んでしまった。


後半部分に以下のくだりがある。

「日本人は試合に敗れると、つい、”申し訳ありません”と口にして頭をさげてしまう。
そこにもまたグッドルーザーの精神の欠如を感じる。」


その点に関して、思うところがある。
まず第一に、テレビ朝日のサッカー中継の”絶対負けられない戦いがそこにはある”というタイトル。
常に勝利するということが、日本に取って当然のことかもしれないが、FIFAランキングが低いどんな国だって、
ホームだろうが、アウェイだろうが、上位国を喰ってやろうと死に物狂いで臨んで来ているはずである。
いわゆるジャイアントキリングということだって、可能性としては十分にあるはず。
そんな戦いがサッカーの本質であるはずなのに、”絶対負けられない・・・”などと一般受けするタイトルにして、
まかり通ってしまうことだって、
グッドルーザーの精神に反することをマスコミが作り上げているのではないかと感じる面がある。


また、選手が”申し訳ない”という件。
これだって、負けた試合の監督、選手に、マスコミやテレビがそう言わせたい、言わせるようにさせている節があるように感じる。
そういってくれれば、”絶対負けられない戦い”に負けてしまった言い訳ができる、
そんな選手がマスコミ受けするいい選手?と感じるのだろうか。
謝るような表現をしてくれれば、負けられない試合に負けた残念な印象で視聴者は許す、もしくは納得するのではないか?
テレビ製作者やアナウンサー、解説者がそう仕向けているように感じる。
この辺は感じ方なので、自分は少し極論に走りすぎているのかもしれない。もう少し落ち着いて考えてみたい点だ。


話題はそれるが、昨年NHKのトップランナーに浦和の鈴木啓太がゲストで出演した。
昨年の啓太は、絶好調で浦和でも活躍、代表でも出場が欠かせない選手となっていた。
Jリーグ、カップ戦、ACL予選、そして代表戦と連戦が続いて、出場機会も非常に多くなっていた頃だ。
その中の話しで、
”連戦が続き、勝っても負けても、その結果を引きずらないで切り替えていくことが大事なんだ”
というニュアンスのことを話しをしていた。
浦和のゲームで敗れても、それを抱え込まず、週中の代表戦に臨むので、またハイパフォーマンスの活躍ができるという
主旨のことを話していたはずだ。それこそが、グッドルーザーの精神なのかと、今回のコラムを読んで思い出した。


今年は、インフルエンザ等の体調不良で長期休み、結婚したのにパフォーマンスがあがらない啓太であるが、
悔しい思いをしていることだろう。来年は立ち直ってもらいたい。